マスコットキャラクターのヒューゴー君が、アナログゲームをお教えします。 ヒューゴー君は西ドイツ・デュッセルドルフ郊外の小さな屋敷に棲む由緒正しき御曹司でした。 1949年にその家系の三男として生まれましたが、産まれつき虚弱で1964年の冬に亡くなってしまいました。 幽霊になってからは、親類の家系が所有するライン川近くの大きな古城に棲み付き、 ワイン倉庫で蔵書を読んだり、仲間のマクレガーの幽霊やガイスター城の幽霊とおしゃべりを楽しんでいます。 なおこの古城では、好事家主催の舞踏会が開かれたりするので、 それに乗じてヒューゴー君は、一緒に踊りたがることもあります。(舞踏会はパニックになりますが...) ヒューゴー君に追っかけられて捕まえられると睡魔に襲われますが、大抵ワイン倉庫で目を覚まします。 憑依されるレベルでは危害が加わることはありません。 生前はゲーム(特にスカート)が大好きで、ゲームが好きな人たちの守護霊として、古今東西のゲームプレイヤーを、ヒューゴー君は見守っています。
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ボードゲームとは? はい、ボクはヒューゴー。 デュッセルドルフのはずれにある古城のワイン倉庫を住処にしてるんだ。 ボクが「ボードゲーム」の紹介をすることになったんだってさ。 なんか、ママ先生とかいう存在が当初紹介していたようだけど、ちょっと引っ込んでもらったんだ。 まあ、ちょっとだけ付き合ってくれると、ボクもうれしいんだけどね。 「ボードゲーム」って、昔からあるじゃない? バックギャモンとかチェスとかもそうなんだけど、現在のボードゲームは大変多彩な要素を持つ盤ゲームのことなんだよ。 ボクがまだ生きていた1960年の頃なんて、コンピュータなんてものはなかったんだ。 だけど、コンピュータを使わずにゲームを遊べる優れたゲームは、最近すごく進化してるんだ。 コンピュータゲームは相手がプログラムなんだけど、ボードゲームは相手が人なので、人によってさまざまな展開や考え方が反映されると思うんだ。 日本だとそうしたボードゲームって、すごろくやらマージャンなんかのイメージになるらしい。 だけど、ボクのいた欧米の今ではそれなりのステイタスを維持してるんだ。 それが証拠にボクの出身地の近くの街で開かれるエッセン・シュピールというイベントでは、4日間でそれこそ10万人規模の動員だし、すごいと思うよ。 ボードゲームはドイツやアメリカを中心に、フランスやベネルクスあたりで興味を持たれているんだね。 ボードゲームといったって、実際にボードがあるわけではないんだね。 場合によってはカードだけで行なうゲームもあるし、ボードの代わりに変な器具や積み木などを使うものもあるんだ。 ちょっと乱暴かもしれないけれど、すべてをひっくるめてここでは「ボードゲーム」という表現にするね。 ボードゲームの魅力は、なんといっても運、駆け引き、プレイヤー間の喜怒哀楽。 あれこれ方策を考えながら、また時には大胆にツキを頼るのもいいんじゃないかと思うんだよね。 だからって、勝つことしか考えていない殺伐としたやり方や、逆に茶化すだけっていうのは興ざめしてダメだよね。 ボクはやっぱり、ユーモアも持ちつつゲームに参加する心がけが必要だと思うな。 まあ、ここを読んでいるお前は多分大丈夫だと思うよ。 ボクが保障してもいい。 興味を持ってボードゲームを遊んでほしいな。 |
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トレーディング・カードゲームとは? やあ、またまたボク、ヒューゴーだよ。 続いて、「トレーディングカードゲーム」について説明するね。 「トレーディングカードゲーム」、略称TCGっていうのは、1993年にアメリカのリチャード・ガーフィールドという青年が考え出した「マジック:ザ・ギャザリング」が始まりとなっているんだ。 ちなみにこの人、川平慈英に似てるね。 すごいよね、20世紀も末の販売だもんね。 ボクが生きていた頃なんて、トレーディングカードなんて、サッカー選手のものしかなかったんだから。 そういえばボク、西ドイツのエースだったウーベ・ゼーラーのカードを結構持ってたね。 いまだと守護神のバイエルンミュンヘンのオリバーがナンバー1かな? でもオリバー、ちょっと恐いけどね。 何でもスポーツカードにあるような、お気に入りのカードの交換や収集の要素と、カードゲームのゲーム性をうまく混ぜ合わせた、非常に革新的なゲームなんだ。 少なくとも、ボクはそう思うね。 ボクはまずはカードを集めることから始まるね。 いくらかのカードを集めてうまく山札を組み上げるんだ。 カードのそれぞれにはさまざまな効果があるから、それらをうまくすり合わせることが重要で、それらで自分の山札であるデックを組むんだよ。 デックが狙い通りに決まったときは、そりゃもう嬉しいって! デックを組むためには、基本的なカードが50枚程度とルールが入った「スターターパック」と、10枚程度のカードが入った「ブースターパック」っていうのがあるね。 だけどボクは最近出てきている、ゲームの特性を分かりやすく伝えてある、手を加えなくてもいい「構築済み」が好きなんだ。 もちろんトレードでカードを揃えたり、そうした専門店で必要なカードを単体で買ってもいいよ。 ゲームは基本的に1対1のゲームなんだけど、あきらかに他のゲームと違うことがあるね。 まずは手番の順序は比較的しっかり守ることは多いのだけど、手番以外でも相手の行動に対抗してカードプレイが許されることがあるね。 さらにはルールとカードで記述が異なってもカードの記述を優先させたり、場に残るカードはたとえ相手のカードであっても自分に効果を及ぼす可能性もあったりするんだ。 ボク的のオススメは、デックをうまく構成させて目的に沿った遊び方を長く楽むこと。 それとルールのアバウトさを逆手にとって、さまざまな遊び方を考えてもいいね。 ただちょっといやなのが、最近イラストやキャラクター性ばかりが目について、ゲーム性がへっぽこなものが多いんだ。 それなら別にゲームでなくてもいいのに... 対戦相手をうまく見つけて、トレーディングカードゲームを楽しんでね。 |
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ロールプレイング・ゲームとは? はいはい、またまたヒューゴーだよ。 今度は「ロールプレイングゲーム」を紹介するね...って、実は諸説あって僕もはっきりとは分からないんだ。 しょうがないから、その諸説をいろいろと説明しておくね。 「ロールプレイングゲーム」、略称RPGは、1974年にアメリカのガイギャックスというゲームデザイナーが、ミニチュアをコマとした戦闘ゲームを発展させたゲームなんだ。 これがこのゲームでもっとも著名な「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の元になったらしいよ。 基本的には、ゲームマスターという進行役と、プレイヤーという遊ぶ側に分かれて行われ、ゲームマスターの提示する状況や説明をもとに、プレイヤーがそれに対して何か行動を行うというものなんだ。 当然ゲームマスターは、シナリオと呼ばれる遊ぶゲームの骨格を準備しなくてはいけないし、プレイヤーはキャラクターの情報を持つ、キャラクターシートを作成しなくてはいけないね。 それらが全部揃ったところで、お互いの確認を取ってからゲームはスタートするんだ。 ゲームの判定や指針を示すガイダンス、キャラクターを作るための道具としてルールブックはあるんだ。このルールブック、ゲームマスターさえもっていればいいと勘違いするのもいるかもしれないけど、ボクは興味の有るゲームのルールブックは買っておくことを絶対お勧めするね。 あと、サイコロの類も必要だね。 プレイヤーはその登場人物に何らかの感情移入を行って、ゲームマスターの状況判断と、プレイヤーが行動の宣言をしてゲームは進んでいくんだ。 ゲームマスターの用意したシナリオをガイドラインに、ゲームマスターとプレイヤーと協力して、ゲームを進行させていくといった説明でいいと思うよ。 ただ、このゲーム、ボクが思うにちょっとスタイルの違いが表面化してるね。 端的にいうと、演技志向になるかゲーム志向になるかということなんだ。 ロールプレイングゲームをどう訳すかなんだけど、playの役によって変わるんだよね。 ボクからいわせれば、playがただ「する」のか、「演じる」のかで話が変わるなあ。 じゃ、まず日本的な演技志向から。 基本的にこちらの路線は、マンガや小説のキャラクターや、演劇の役者さんをベースに考えられているよ。 ゲーム中にプレイヤーは、キャラクターになりきって、自分の行動を選ぶんだ。 通常の小説やら演劇なんかは、なかなか自分の思い通りにならないことが多くて、自分だったらこうするのにと思うことがそれなりにあると思よね。そりゃボクだって、ポアロに出てくる犯人の行動にいらつくこともあったしね。 この手のロールプレイングゲームだと、ゲームマスターのシナリオに沿ってさえいれば、より自分のキャラクターをイメージした行動を取らせることも可能になるよ。 当然ストーリー展開にうまく踏み込めるように、キャラクターの行動はいろいろと選びようがあるね。 だからこうした中で、感情移入を深めることが出来るんだ。 もちろん、他のプレイヤーやゲームマスターとも一緒に協力して、楽しい時間をすごすことが目標となるんだよね。 皆が楽しいと思わせられるゲームマスターは、ちゃんとプレイヤーからも評価されるし、ゲームマスターから見ても楽しく遊べるプレイヤーを大切にしていきたいよね。 ただ、ボクが思うに、肝心のゲーム性そのものは低いね。度を越すとゲームじゃなくなることもあるみたいだし... もう1つはゲーム志向のほう。 こちらはうってかわって、しっかりゲームを行おうとするものだね。 ゲームマスターは、リスクを考えてシナリオを組むんだ。もちろんうまく立ち回ればプレイヤーは最後まで行き着けるし、ヘマをするとプレイヤーのキャラクターは瞬く間に窮地に陥っちゃうね。 キャラクターが死なないように、プレイヤーがうまく立ち回ることが必要と思うんだ。 プレイヤー同士はあくまでもチームプレイで臨んで、ゲームマスターから与えられた課題を解決していくんだよ。 またゲームマスターは、あくまでもゲーム全体を見渡した公平な立場で審判しなくちゃいけないね。 当然プレイヤーが万事解決できたら、ちゃんと評価されなくてはいけないし、それを判定するのがゲームマスターなんだ。そのあたりにゲームとしての勝ち負けのようなものが存在するんじゃないかな? こちらの問題点は、慣れているプレイヤーがゲームをコントロールできるし、キャラクターが単なるコマと同義ならば、ロールプレイングゲームの面白みである、意表をついた行動宣言の綾をスポイルするかもしれないからね。 でも、上記2つのパターンは基本的にはスタイルの違いと思ってもらっていいよ。 基本的には、冒険や課題の舞台をゲームマスターが準備し、プレイヤーの行動をゲームマスターが判定するという流れは変わらないからね。 さらに、一概にどっちがいいというものでもなく、ゲームの捉え方の違いだね。 このスタイルの違いで、プレイヤー同士で揉めることもあるみたいだけど、ボクはそんなのいやだな。 お互いそのあたり、相手の考え方を理解すればいいんじゃないかな? それじゃ、楽しいロールプレイングゲームを期待するね。 |
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